逆張りとしてのインプット本
2019/01/24
こんにちは、保護ねこ9匹と暮らす出版コンサルタントの、樺木宏です。
さて、ここ数年は、「アウトプットブーム」が続いていますね。
読書術の方から火がついた印象で、「本はアウトプットを前提に読むとうまくいく」
という本が売れました。
そして最近では、アウトプット自体が1つのカテゴリーとして、成り立っている印象です。
本を出しつづけたいあなたとしては、このあたりの経緯にも目を光らせていることと思います。
こうした流れの場合、「逆張りとしてのインプット本」がまたやってくるでしょう。
というのも、やはりアウトプットというのは、インプットありきだからなんですね。
キュレーター的な役割が世の中で増えてくることは分かりますが、ある程度のレベル、
それこそ商業出版の著者のようなレベルになってくると、付け焼き刃のインプットでは、
アウトプットの質が高まりません。
出版の世界でも「知の巨人」と言われるような人たちは、例外なく、インプットありきの人たちです。
このことは、古くから言われ続けていることでもあります。
例えば昭和初期の講義を元に書かれた、森信三さんの「修身教授録」という本でも、下記のように化書かれています。
---
渇したものが水を求めるようであってこそ、初めてその書物の価値を十分に吸収することができるのであって、もしそうでなくて、研究発表だとか、あるいは講演に行かねばならなくなったからなどといって、急にあちこちと人に聞き回って読んだような本からは、同じ1冊の本を読んでも、その得るところは半分、否、1/3にも及ばないでしょう。
というのも内心の欲求から出たのでなくて、外面的な義務や強制に迫られて読んだ書物というものは、いわば腹の減らぬのに食べた食物みたいに、不消化なものだからです。
---
いかがでしょうか?
アウトプット全盛の流れだからこそ、インプット系の本を読む。
ぜひこうしたアンテナを立ててみてください。
そうした逆張りの視点で、今年もぜひ質の高い本をだしていきましょう!
ご参考になれば幸いです。